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 Posted by ミリタリーブログ  at 

映画にみるカタルシス~後編~



カタルシス、という側面から映画をかる~く紐解いていくコーナー、後編です。前回の記事
にてカタルシスとは何ぞや、を津々浦々と書いていきました。

今回は「じゃあカタルシスっておけば、映画は面白くなるの?味覇みたいなもんなの?」と疑問をお持ちのシネマ童貞の諸君に、カタルシスが映画において果たしてメリットしかないものか否かを私個人の視点で語ってイキたいと思います。


結論から申し上げるとメリットばかりではない、です。
メリット、デメリットそれぞれ箇条書きしていきましょう。

カタルシスのメリット
①話にまとまりが生まれ、鑑賞後に溜飲が下る
②ヒーロー、引いてはモラルや正義感の正当性が証明され安心する

です。


スピード

キアヌ・リーブスをスターダムに押し上げた映画「スピード」を例に挙げましょう。あの映画は「拘束」と「疾走」を同時に演出した非常に稀有な映画です。速度を落とせばバスがドカン、なんてファンキーな仕掛けのおかげで延々緊張感(いい意味でのストレス)が溜まり、ラストで犯人を倒し恋人もGETという華々しいエンディングが一層際立ちます。

構成もスッキリかつシンプル、親友の仇も討てたし、まさにカタルシスのメリット①と②をしっかり活かしてますね

では反対にカタルシスのデメリットはというと
①問題提起が希薄になり、視聴者に正誤の判断を押しつけがち
②ともすれば予定調和となり、既視感が生じることも



ロボコップ

これも例に挙げてみましょう。それはカタルシスについて自論を晒してみようかな、っと思った要因となった映画リブート版「ロボコップ(2014)」です。旧作のロボコップが大好きな僕は、このリブート版ロボコップに期待を寄せていました。なんと言ってもゲイリー・オールドマンが出てますからね。駄作なわけない、と思っていました。

えぇ、凡作でした。

リブート版ロボコップはアクション映画として、かなり優等生な部類だと思います。MGS4の雷電を彷彿させるスタイリッシュなアクション、悲劇の境遇にある主人公、善悪の彼岸。全部詰まっています。家族愛もあるんだから、お腹一杯になれます。

…いや、ロボコップはそうじゃないだろ。
退廃的でサイバーパンクな空気。あんな街死んでも住みたくない、と誰しもが思う狂気渦巻くデトロイトシティ。記憶抹消、家族離散、ただ犯罪撲滅のために生かされているだけで、何の憐れみもない虚無の存在。

諸悪の根源を倒したところで、別にスッキリしない居心地の悪さ。

ロボコップっぷ
そして孤独なパブリック・マシーンの戦いがこれからも続くと思うと涙が出てきます。同僚にはわかってもらえたけど、それじゃ全然足らねーよ!!!

まさにカタルシスとは反対の位置にロボコップは存在しています。どこまでも悲しい存在、それがロボコップです。故にメッセージ性も強かったです。リブート版は「ロボコップ」が正当化されていて、受け入れろ的な押し付け強い。合間に入るサミュエル・L・ジャクソンの語りが強濃すぎて余計そう印象付けられます。ロボコップが謎パワーでオムニ社の人間に引き金を引く時には「うわ、クッサ」と思ってしまいました。

カタルシスのデメリットに見事はまってしまったリブート版ロボコップですが、普通のアクション映画として見れば社会性もあり、人間の死生観に訴えかけるものもありで悪くないです。
ただ看板がでか過ぎた。



大脱出

さて少し話は飛びますが、カタルシスを孕む映画は意図して仕組んでいる場合がほとんどです。製作者側が「ここが絶頂ポイントだ!!!」とこれ見よがしに提示してくるときもあります。むしろ振り切って爽やかさすら感じますね。この大脱出がまさにそれでした。ご存知スライとシュワちゃんの二大アクション巨頭が揃い踏みした映画です。キービジュアルで全面的に二人が並ぶ姿は古臭いのに新鮮でしたよね。視聴前はもう派手なドンパチアクションを予想せずにはいられません。

しかし二人の超人は囚人という立場で、中々本領を発揮できません。珍しく小細工を弄し脱獄を図ります。確かに相手は絶対強大な最新鋭の監獄。綿密な作戦がなければ、いとも簡単に失敗するでしょう。しかしこの二人ですよ。プレデターだって相手がシュワちゃん一人だから善戦できたものの、そこにスライも加われば宇宙人虐待ムービーの出来上がりです。

大脱出はそんな歯痒い展開が続きます。しかし、製作者側はわかっていました。
「お前達が見たいのは、これだろ?」



撃つ、撃つ、撃つ。




散らす、散らす、散らす。


いざ脱出の本番になると、今まで立てていた用意周到な計画がそびえたつクソと化し、超人たちのマンパワーに頼り切った脳筋展開に早変わりするのです。

これだよ、これ!!!

そのまま減速せずに最後まで突っ走るので見た後もスッキリ爽快。視聴者の心理を逆手に取ったカタルシスが非常に面白かったです。またシュワちゃんも州知事から俳優への復帰後、かなり良い役に恵まれていると思います。


復帰後主演一発目のラストスタンドでも老兵と化したシュワちゃんが、最後はバッチリ決めてくれます。若造との滾る肉弾戦が熱々。カタルシスってました。

ただ今回のシュワちゃん、演じた役柄だけでカタルシスを体現できているわけではないと思いますけどね。なんというか州知事として、今までと違った形でメディアに露出したことで「知性」「政治観」が露わになり、加えてスーパーマンではない人間味のあるシュワちゃんが知れ渡ったことが大きいんだと思います。前記事で書いた俳優のバックボーンがイイ方向に払拭されたのではないでしょうか。

さて過去の遺物を引っさげながらカタルシスを押し出した「リブート版ロボコップ」と「大脱出」ですが僕の中でこうも評価が分かれました。これだけでもカタルシス=映画のミソではないということがわかりますよね。

カタルシスは技術の一つであり、決して映画の根っこにあるものではありません。本当に伝えたいこと、見せたいことの中にスパイスとして加わっているだけなのです。みなさんも映画を視聴するとき、ちょっとカタルシスを意識してみてはどうでしょうか。きっと新しい発見があると思いますよ。




余談ですが僕の会社の直属ではない上司に、めちゃくちゃクラレンスに似ている人がいます。
もう全体的に、悲しいまでに。  


2015年09月03日 Posted by ビスコ  at 02:43Comments(0)映画

映画にみるカタルシス~前編~



カタルシスという言葉をご存知でしょうか。意味は「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」です。
簡単な例を挙げれば「散々悪者にいいようにされていたけど、最後はスカッとヒーローが倒してくれたぜ。HAPPY!」ってところでしょうか。なお元々は演劇用語で、転じて精神療法をさすようになり、一般化したそうな。

映画においてもカタルシスは常用されています。ストーリーの過程で視聴者が悲観的になるような展開も、最後は上手くまとまってスッキリして終わるものが多いんじゃないでしょうか。
特にアクション映画なんかでは、動きのある画も相まってスカッとさせる効果が重複されるような気がします。

簡単ではありますがカタルシスとは~、というのが何となくわかったでしょうか。僕の中でカタルシス映画の最高峰は

ダイハード


フェイス・オフ


ですね。カタルシスとは精神世界の浮き沈みを表す言葉ですが、映画を視聴した人がカタルシスを感じるにはある2つの要素が必要となります。

まず1つ目の要素は「制約」です。抑圧と言い換えてもいいでしょう。上に挙げた二作の主人公は共通して環境もしくは状況に縛られています。ダイハードのマクレーンは「人質」「巨大密室ビル」という二つの制約下で、テロリストと戦います。多勢に無勢、雁字搦めの状態でがむしゃらに立ち向かう姿は興奮すら覚えますよね。

一方フェイスオフではさらなる制約がアーチャーを襲います。「犯人と顔が入れ替わる」という超ド級の制約です。最早説明不要の最悪な状況下で彼はキャスター・トロイを打ち倒します。

ビジュアルと音響で訴える映画において、登場人物の精神世界を覗くのは容易ではありません。というか無理でしょ。
そこで登場人物に圧力をかけるのです。苦しい状況の中でもがく主人公。いつしかその挙動に引き込まれ共感する我々はEDで壮大なカタルシスを得ます。

ダーーーーーイッ!!!


では二つ目の要素は何か。当たり前ですが作品を「未見」であることです。これは予見と言った方が正しいかもしれません。例えば90年代までのシュワちゃん映画を視聴していて「うわ、シュワちゃん今回負けるやん」って思いますか?沈黙してるセガールが戦っていて「セガールも潮時やな。負け負け」って思いますか?


これは凄く大事な要素です。俳優のバックボーンが透けて見えるとカタルシスを得るのは途端に難しくなります。カタルシス俳優、と勝手に名付けますがブルース・ウィリスやニコラス・ケイジ&トラボルタは、演じてきた役の幅が広いからかどんな映画に出ていても「哀愁」に似た侘しさが漂っています。この危うさを匂わして、最後はスカッと決めるのはカタルシスの真骨頂と言えましょう。
ただ最近はシュワちゃんも円熟味を増し、カタルシスを得るような映画に恵まれているように感じます。このシュワちゃんの変化については後編でもう少し紐解くと思います。


セガールは…うん、まぁね。とりあえず痩せよ。

てなところで前編はここまで。後編では「カタルシス=面白さなのか」という部分に触れていきたいと思います。  


2015年08月30日 Posted by ビスコ  at 03:23Comments(0)映画

ビスコ的「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の愉しみ方

こんばんは。映画を愛して止まないビスコです。バイトの女の子に対し、さして興味もないであろう映画の話を延々とするのがマイブーム。ここ最近は忙しくて劇場までイケず、DVDで我慢する日々でしたがレイトショーなら仕事終わりに鑑賞できることに気付き、アレを見てきました。





マッドマックス 怒りのデス・ロード


本当にオススメの一本です。これから鑑賞予定の方、またイクかどうか迷われている方に僭越ながら私的見所ポイント、まさにMAD(狂気)のポイントを解説していきたいと思います。
もちろんネタバレ全開で。


ビスコ的マッドPOINT①
タイトルがおかしい


まず最初に言っておきますが、
主人公のマックスはそれほど怒ってません。
タイトル詐欺です。
原題の時点でMad Max : Fury Road(憤怒の道)となっているわけなので、セガール映画になんでも「沈黙」をつけちゃう邦題のイカレっぷりと違うのもミソ。
むしろ怒っているのは敵役のイモータン・ジョーや故郷を奪われたヒロイン(?)のフュリオサでありマックスは単に騒動に巻き込まれただけのこと。
この巻き込まれ型主人公こそ、旧三部作から連なるマックス・ロカタンスキーの特徴ですが、圧倒的世界観も相まって今作では
マックスの影が薄いです。

例えばマックスが決死の覚悟で敵の「武器将軍」と対決するシーン。
丸々カットです。
一仕事終えたマックスが返り血まみれになっているのを見せて、壮絶な戦いだったことを視聴者に想像させる手法を取っています。
いやそこが見たいんだよ。
マッドすぎるぜ…。


ビスコ的マッドPOINT②
ジョー様がアホすぎる


マックス、フュリオサを抑えて今作でカルト的人気を博すであろう敵の親玉イモータン・ジョー様が
突き抜けてアホである
ということは鑑賞する上で忘れてはイケナイ要素。

ジョー様は圧倒的なカリスマ性を持ち、自らが造り上げた砦「シタデル」において優れた統治を行っています。宗教団体のように盲目的な信者を従え、彼の地で文字通り神となったジョー様ですが、その行動に疑問が残ります。

マッドマックスは核戦争後の荒廃した大地が舞台です。空き缶や繊維をはじめ、どんな資源でもとても貴重だし、水やガソリンは命よりも重いもの。
それらの生産、精製手段を持つジョー様に従う民衆は、その貴重な資源にあやかろうとしているのです。

ジョーさまは慈愛の心を持って人々に水を与えます。その聖母も絶頂しそうな優しさには視聴者も感涙…と言いたいところですが、配給方式がダムの放水という
非常に効率の悪いやり方
なのが頂けない。落差100mは悠にあろうかという地面に向けて大量に放水するのですが、大半は空中で飛沫し地表の人々には半分以上行き渡らない。
ただし考えようによっては、なるほど宗教じみています。
大きな力を見せつけた上で、与える部分を出し惜しみして自身をより神格化させているならば合点がいくのです。

だが待ってください。
資源が乏しく、何一つ自給できない非生産的な民を統治する意味が、そもそも無いですよね。
ジョー様のもとには自分の後継者を生ませる「子産み女」、尖兵となって戦う「ウォー・ボーイズ」がいます。彼らにはれっきとした役割が与えられていて、ジョー様の帝国にとってのライフラインとも言えるでしょう。

一方で民はただ地表でジョー様に恐怖し、崇めて、その見返りとして細々と資源を頂いている存在。重い税を課せられている様子もなく(払うものがないもの)、ただジョー様に生かしてもらっているだけの存在。
つまりジョー様の統治方針はボランティア活動に他ならないという結論に至ります。
自らの明日も分からない世界で施しを与える悪役。マッドすぎるぜ…。


ビスコ的マッドPOINT③
往復するデス・ロード



邦題のデス・ロードは的を射ています。巨大砂嵐、盗賊の襲撃、せまり来る追っ手…マックス御一行は死の危険に何度も直面し、少なくない犠牲も出しました。ようやく辿り着いた目的地も土壌汚染に見舞われ、最早旅も手詰まりというところでマックスが提案したのは
来た道を戻ろう(真顔)
です。ストーリーの進行上、別に不自然な場面でも無いのですが一瞬でもよぎってしまう考え。言いたい、言ってしまいたい。
今までの何だったんだよ!!!
はぁ、スッキリ。

往路が死出の旅路なら復路は修羅の道。しかしどちらも希望に向かっているのは、狂気の世界における一筋の光であり、この映画の純粋なメッセージのひとつだと言えます。
現代の倫理観や道徳が全く通用しない世界でマックスとフュリオサは悪に立ち向かいます。その諦めない姿がとてつもなくカッコイイ。しかし本能のまま、狂気の愚行に身を投げ出すイモータン・ジョー軍団もカッコイイ。

ただ荒廃した世界において彼らの選択など、実のところ何の意味も成さないのです。マッドマックスという枠が圧倒的過ぎて、
もう何が正しくて、何が間違っているのか理解できない。
それこそがマッドマックスです。


この旧三部作から受け継がれた監督のジョージ・ミラー節こそ、マッドの中のマッド。マッドすぎるぜ…。





というワケで少しでも「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の魅力が伝わったでしょうか。映画館へ行く後押しになれば尚幸いです。頭の中を空っぽにして見る映画は多いですが、頭の中を狂気に染めて没入できる映画は希少です。
もし日常で行き詰ったり、何か問題を抱えて塞ぎこんでいるなら、マッドの中へ飛び込むことをオススメします。



映画館でこんなチラシも手に入れました。ぜったい観に行く。  


2015年07月02日 Posted by ビスコ  at 04:51Comments(0)映画

欲望のバージニアってイイヨネ。


禁酒法時代(いわゆるボルステッド法の時代)を取り扱った映画というとアンタッチャブルが一番有名ですかね。歴史を紐解いていくと面白い題材なんで、もっと色んな作品が出ていいと思うんですけどね。近年では「華麗なるギャツビー」が禁酒法時代を背景にしたドラマとして公開されまししたが、ガッツリ禁酒法を扱うのは片手で数えるくらいしか知りません。
映画「欲望のバージニア」はまさに禁酒法の真っ只中で、密造酒商売を稼業にしていたボンデュラント兄弟の隆盛と衰退を描いた映画です。これが中々評判が微妙。評論家も軒並み「可もなく不可もなく」と下しています。



それではイカレた兄弟を紹介するぜ!!!
バージニアの密造酒界では名うてのタフガイ!不死身の男も肺炎には勝てなかった。
次男「フォレスト・ボンデュラント(トム・ハーディ)」だ!!!右
兄弟一の武闘派だけど弟には頭が上がらない!映画の立ち位置も微妙だぞ。
長男「ハワード・ボンデュラント(ジェイソン・クラーク)」参上!!!左
お兄ちゃん、僕だって背伸びしたいよ。主人公はお前なんか~い!!!
三男「ジャック・ボンデュラント(シャイア・ラブーフ)」も名乗りを上げた!!!真ん中



その他ガイ・ピアースやミア・ワシコウスカ、そして我らがゲイリー・オールドマンも伝説のギャングとして登場します。今が旬の俳優から実績のある名優まで揃えたキャストだけでも見る価値ありますね。ゲイリー演じるフロイド・バナーは、それこそ友情出演程度の露出ですが存在感は抜群。トンプソンを乱射するシーンは痺れました。ガイ・ピアースのチャーリー・レイクスはやり過ぎだろ!!!ってくらいヘドの出る悪役。魅力もなく、ただただイヤらしい。


映画の内容はボンデュラント兄弟の禁酒法における顛末を描いただけ。色恋沙汰もありますが、見所とは言い難いですね。
そして主人公がフォレスト、かと思いきやジャックだったりします。ジャックの成長譚という側面が強く押し出されているので、トム・ハーディ目当てだと肩透かしくらいます。



禁酒法の真っ只中のアメリカというと、混沌とした社会情勢が思い浮かびますがバージニアの田舎風景は長閑で厭世的。それをブチ壊す暴力、銃声。雰囲気が抜群にいいです。というか、そこに惚れ込めるかどうかでこの映画の評価が分かれます。話の本筋は簡単で、ボンデュラント兄弟から甘い汁を吸おうとしたけど断られた政府の汚職官レイクスが彼らと悶着を起こすのです。悲劇の応酬、禁酒法を題材にした映画には必須の「血で血を洗う抗争」が延々と続きます。



ジェシージェームズの暗殺(ブラッド・ピット主演)もそうでしたが、もっと目玉の役どころ(今作のフォレスト)の視点で話が進んでくれればと思いますね。映画のコンセプトを根底から覆すことになりますが、ジャックの成長日記が大半を占める流れは退屈です。大人のギャングな世界をもっと描いて欲しかった。それでも最後は男を見せたジャック。映画に必要な人物には間違いないんですけどね。

記事を書き始めてから公開するまで、かなり時間がかかりました。本当に語るべき点が少ないんですよね。シナリオの起伏も少ないし、記事向きじゃないんです。じゃあなんで書いたかっていうと…



ゲイリーがかっこいいから。

キャストに魅力を感じる人にはおすすめです。それ以外の人には退屈かも。  


2015年01月05日 Posted by ビスコ  at 17:00Comments(0)映画